夢現嗜好症 1-3

 教室に行くと、狭い檻のような空間には記号的な制服を着た同年代の男女がひしめき合っていた。

 朝の喧噪に賑わう教室。益体のない無数の話が同時に錯綜さくそうする箱庭は眺めるだけで、おおよそのグループとそのリーダー格が分かる。

 どういうグループがあるかは一目瞭然。その中でのリーダーっていうのは大抵、自分の先に変わらず座りながら周りに人をはべらせてる奴だ。どうにもこういう閉鎖的な場所でリーダーとなる奴は、自分から話しかけに行くことをしない。自分の縄張りで待ち続け、仲間が来るのを待つ傾向にある。

 きっとそうやって、相手の忠誠心を確かめているんだろう。呼びかけてもいないのに相手が勝手にくれば、それは相手がなついている証拠。近付いたのが自分ではないからこそ、突き放すことも容易だし、高圧的な態度も取りやすい。なんとも単純だ。

 男子グループのリーダー格の佐伯吉信さえきよしのぶと、女子グループのリーダー格である水嶋晴美みずしまはるみは特にその性質が顕著けんちょだと言える。本当に分かりやすい。

 学校が社会の縮図というのは、なかなかに正鵠せいこくを射た言葉だと常々思う。

 そうやって多くの者がグループに属する中に紛れながらも、自分の席で文庫本を読む男がいた。

 少し長めの黒髪にほっそりとした顎、滑らかな頬は絹のようで色白の肌はどこか病人チック。体つきも細いため、どこか頼りなく見えるが、制服であるブレザーをまともに着こなしており、多少着崩されてはいるが見栄えは悪くない。

 頬杖をかいていたそいつは、教室に入ってきた俺とシュン、それとおまけの篠に気付き、本を閉じて席を立った。

「遅かったね、三人とも」

 歩み寄ってきたそいつ  石田智章いしだともあきは、思春期の男にしては高い声で挨拶もなしにそんなことを言ってくる。その声は吐息のようで、妙に囁くような余韻が残る不思議な声だ。

 高校で知り合ってから、こいつが声を荒げたり怒鳴ったりしたところは一度も見たことがない。いつでも澄ましたような、冷静な口調で話すイメージが俺にはあった。

「これでも早く着いた方だよ。アキラが暑さにバテちゃって大変だったんだから  

「お前だってコンビニでぐだぐだと悩んでたせいもあったじゃないか! 俺だけのせいにするなよ!」

 ずれた言い訳をするシュンの言葉を遮って俺が怒鳴ると、智章  トモは浅く笑みを浮かべる。

「それでもアキラが来ただけマシじゃないかな。今日は来ないのかと思っていたからさ。大方、アキラの説得で時間がかかってると思ってたし」

 さりげなく、いや、あからさまに失礼なことを言うトモを睨むが、トモは涼しい顔で知らん顔を決め込んでいる。

「あのー私は?」

 後ろで話を聞いていた篠の問いに、トモは悪戯っぽく歯を見せて笑みを強めた。

「ナナカが学校来ないからと言って別に驚くことはないよ。ナナカはサボるくらい平気でするし」

「なぁ! 失礼なこと言うなぁ! 最近は真面目に来てるよ!」

 大仰に怒って細い腕を振り上げる篠に、トモは満足げな表情だ。相変わらずトモは篠を弄ぶのが好きらしい。

「分かった分かった。分かったから静かにしてくれないかい? 不良女子さん」

「分かってないじゃん!」

 どこか予定調和のような戯れの口論。繰り返されるいつものやり取りに、隣でシュンは困ったように苦笑している。そんなお節介の横顔を見上げていると、ふとシュンが俺を見て穏やかに笑いかけてきた。

 なんかすごい子供扱いされてる気がして、俺は顔を顰める。

「なんだよ」

「いや、楽しそうだな、と思って」

 嬉しそうに笑うシュンの顔がさらに気に食わない。つぅか見下ろすな。

「あいつらが?」

「いや、アキラが」

「あ? 寝呆けてんじゃねぇよ、んなこと言ってると蹴っ飛ばすぞ」

「それはちょっと勘弁してほしいかな。アキラ容赦ないし」

 苦笑するシュン。後ろ頭をかく、その横顔がなんかムカついた。

「…………ッ」

「痛ッ!」

 膝の裏を思いっきり蹴ってやると、シュンは前につんのめりながら痛みに顔を歪めた。突然の事態を把握しきれていない間抜けな顔が滑稽こっけいで、少し満足する。

 バカだな、本当に。

「全く暴力的だな、アキラは……。どうしてすぐ手が出るんだい?」

「手じゃねぇ、足だよ」

「どっちも変わらないよ」

「同じじゃないね。手より足の方が力あるから、そんぐらいお前が嫌いなんじゃないの?」

 そっぽを向いて言うと、後ろで薄く咽喉を鳴らすような声が聞こえた。あいつがどういう表情をしてるのか、俺はなんとなく分かる。

 間違いなく、柔和にゅうわな顔で笑っているんだろう。それがさらにムカつく。

 なんかこう頭皮がむずがゆくて、顔が熱い……。

「どうしたんの? アキラ」

「別に! なんでもねぇよ!」

 言って、俺は自分の席へと向かう。

 もう付き合いきれん。つぅかメンドクセー。

 話し込む女子グループを掻き分けて、俺は自分の机に薄っぺらい鞄を投げ捨てる。微かな物音に、周囲の女子達が肩を震わせて俺の方へと視線を向けた。

 怯えた視線の真ん中。その中で水嶋晴美だけがじっとりとした目で俺を睨んでいた。

 ……ここも、ここでメンドクセーな。

 なんだか、どうにもダルい。他人を見るのも飽き飽きして、俺は鞄を枕代わりに机へ突っ伏した。

 もうすぐベルも鳴る。さっさと寝ちまおう。

 学校には来たんだ。もうシュンに文句言わせねぇ。



     ◇



「あれ? アキラは?」

 昼休み、メンチカツとコーヒー牛乳を買って屋上の定位置へ行くと、そこにはいたのは智章だけだった。

 屋上の隅、智章は塔屋の壁に背中を預けて三ツ矢サイダーを飲んでいる。この日陰が僕らにとっての昼休みの定位置だ。

 三ツ矢サイダーのキャップを締めて、智章は静かに笑う。

「ナナカと一緒にジュース買いに行ったよ」

「ああ、なるほど」

 まだ、寝てるのかと思ったけど、そういうわけじゃなかったのか。

 アキラはどうにも寝起きが悪いから、一回寝ちゃうとなかなか起きない。それで心配してたんだけど、流石に過保護かもしれないな。

 いくらアキラといっても昼食の時間になれば起きるか。

 とりあえず登校中に買ってきた昼食の入ったビニール袋を地べたに置き、智章と向かい合うように座る。

「全く、シュンは本当にアキラの保護者だよね」

「やっぱりそうかな? 自分でも分かってるんだけど、こればかりはどうにもね」

「シュンがお節介焼きなのは中学の頃から知ってるけどさ。それでも、アキラには肩入れしすぎじゃないかな?」

 智章は中一からの友人だから、僕が世話焼きだということを十分すぎるほど知っているし、どうにも放っておけない僕の気質を理解してもくれている。

 だからそれなりに力添えもしてくれるんだけど、その智章がこうやって言ってくるということは、いよいよ僕のお節介振りも危ないということだろう。

「自分でも分かってはいるんだけどね。どうにもアキラばかりは放っておけないというか」

 コーヒー牛乳にストローを挿しながら、僕は諦め混じりに笑う。

 本当に、分かってはいるんだけどね。

 改善はできそうにない。どうしても、アキラにだけは。

「別にやめろとは言わないけどさ。そこがシュンのいいところだっていうのは分かってるし……だけど、このままアキラの面倒ばかり見てるわけにはいかないよ? いつまでも一緒にいれるわけじゃないんだから」

「うん。それも分かってる。でも、こう、やっぱり頭で分かってはいるんだけど、ね」

 上手く言い表す言葉は見つからないけど、僕はきっとこれからもアキラの世話をし続けると思う。どんなに拒まれても、諦められないはずだ。

 それだけは、誇っちゃダメなんだろうけど、断言できる。

「きっとシュンは頭でも分かってないよ。頭で分かってても体が勝手にじゃ、お節介は焼けないよ。お節介っていうのは心でするものだからね。多分、シュンは分かってない、絶対に」

 多分と絶対に挟まれてしまった。多分と濁すつもりが、うっかり本音が出てしまったんだろう。

 その絶対という言葉の柔らかい力強さが、全て物語っている気がする。

 でも、実際その通りなんだろうな。僕は分かってない。そういう事実を知っているだけなんだ。

「ごめんよ」

「僕に謝ることはないけどさ……。ただ、シュンは少し自分のことも考えるべきだよ」

「うん、そうだね」

 でも自分のことを考えたら、やっぱり僕はアキラの世話を焼くんだろうな。

 アキラを放っておいたら、それこそ僕は落ち着かないだろう。結局、僕は自己満足のために、アキラの世話を見てるのかもしれない。

 そんなことを言ったら、きっとアキラは怒るんだろうな。

 甘ったるいはずのコーヒー牛乳が、どうしてかほろ苦かった。



     ◇



「あっちゃんってさ、シュンちゃんと付き合ってるの?」

「あ?」

 西棟と東棟の渡り廊下、がごがごんと荒々しい音を立てて落ちてきたコーラを自販機から拾い上げようと腰を曲げたら、突然そんなバカげたことを言われた。

 暑さで脳みそ溶けたか、このバカは。ただでさえ小さい脳みそなのに、融点まで高いようだ。

「お前さ、俺はアキラだぞ。普通に考えろ、そんなことありえない。言う相手間違えてるんじゃないのか?」

「いやぁ、仲良いし。それにさ、そんなの関係ないよーぉ、恋にはさ」

「俺のアイデンティティを掻っ攫っていく気か、てめぇはよ」

 付き合いきれねぇ。

「くたばれ、アホ」

 ため息交じりに言い捨てて、俺は篠を置いて校舎へと向かう。ダメだ、こいつはもう手遅れだろ。

 こっから改善されることはないな。

「あー待ってよ、あっちゃん! 私を置いてかないで! 捨てちゃうの!?」

「うっさい」

 後ろから投げられる妙に演技かかった声を無視して、コーラを飲みながら校舎に入る。

 それにしても流石演劇部、なかなかに悲壮感が溢れていた。あの手を男に使えば、相手の名誉を簡単に毀損きそんできそうだ。

 ただ、問題はこいつにそういう計算高さがないことだ。数学の方の計算はかなり速いんだが。

 頭の回転は早いんだけど、そういう行為に関してはそもそも考えもしないんだろう。

「ねぇねぇ、でも、ぶっちゃけどーなの? あんだけ面倒見てもらって、その上気にかけてもらって、あっちゃんはどういう気分なの?」

「うざい」

 ひょこひょこついて来て絡んでくる篠に即答すると、「あちゃー」と残念そうな声が聞こえてきた。

 ……毎度思うんだが、こいつは俺に何を期待してるんだ。

 本当に意味が不明すぎて困る。

 呆れながら、階段に足をかけて上を向くと、ちょうど射し込んできた光が網膜を焼いた。眩し……。

「あっちゃんはー、もっと正直になるべきだと思いまぁす」

「は?」

 間延びした気の抜ける言葉に振り返ると、やっぱり篠は能天気に笑っていた。

 こいつは本当にいつでも笑っている。真白の光を受けた満面の笑顔は本当に輝いていて、思わず見入ってしまいそうなものだ。

「ありがとうっていうことも大事だよ。シュンちゃんはそういう感謝の言葉とかが欲しくて、人助けをするわけじゃないけど、それでもあっちゃんがそう言ってくれたら喜ぶよ」

「…………」

 そういや、そんなこと言ったことは最近ないな。

 中学校になってから言った覚えがないということは、シュンにも言ったことはないな。

 だけど、それがなんだっていうんだよ。いつまで経っても感謝の言葉一つ言わない俺を、シュンは早く見放すべきだ。

 俺と一緒にいても何もいいことはない、と悟るべきなんだ。諦めてくれた方が、俺にとっては好都合だ。

 ため息一つ、俺は階段をまた上り始める。

「知るかよ、そんなこと」

「もー! そういうとこが素直じゃないんだよぉ!」

「少し黙れ、お前は喋りすぎ」

 俺がそんな一日中喋ってたら、間違いなく声枯れるな。もともと喋るのはあまり好きじゃない。

 タルいし、何かを表現するという行為自体が面倒だ。

 だからシュンや篠、トモと一緒にいることが多い今の日常は疲れる。嫌でも関わることになるし、関わる以上何かを伝える必要も出てきてしまう。

 今まで人との関わり、繋がりを拒んできた俺にとって、それは不慣れなものだ。

 あいつのせいで変わってしまった俺のスタンス。

 全部、あいつが悪い。

 この疲れも、倦怠感(けんたいかん)も。

 だから、俺はあいつが大嫌いなんだ。

 消えてしまえばいい。こんな日溜まりは。

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