1.Monochrome Chapter―白黒軌跡― 1-3
前方を駆けるのは紅と銀の風。先頭を行くクロームの銀剣が振るわれる都度に、大気中のエーテルが硬質化し繊細な剣の芸術となり、巨大な百足へと飛翔していく。
地を抉り猛進する百足へ翔る剣は、突如不可視の壁に弾かれた。空を切り裂いた剣は尖端から砕け、破片となって崩れ去る。
――障壁だ
鈍く、小さく、呟く。
魔術における最もポピュラーな空間作成術の内、三次元的に空間を形作り、あらゆる干渉を防ぐ《障壁》。内側へと物理干渉を防ぐ強固な盾であり、最も無差別に全てを阻む厄介なモンだ。
二次元的な空間作成である《膜》を壊すことは容易い。四次元的な空間を作成して、物理干渉も魔術干渉も防ぐ《結界》だって、セキュリティホールを衝けば容易に崩せる。だが、無差別に全てを阻む壁である《障壁》はその空間に干渉するモノ全てを問答無用で弾くだけだから、セキュリティホールなんてあったもんじゃねぇ。
技術がなく、魔力があるなら、織物を織り上げるように製作しなければならない《結界》よりも、ただ作るだけの《障壁》の方が堅固な盾となるだろう。
俺の銃弾も、セシウの拳も通らない。プラナの魔術は――ダメだ。あれを壊すだけの魔術を創り出す間に、百足は俺達を挽肉にすんだろ。
と、なれば――まあ、主役の出番だ。
静かな声で呟き、クロームは携えた剣を逆手に持ち直して、地を力強く蹴って疾駆――その周囲に十数条の銀剣が創造された。それらは先程までの繊細な剣とは異なる。その一つ一つが、クロームの持つ愛剣と並び称されようと劣らぬ、名工の鍛え上げた意匠の兇器だ。
先程までのエーテルを硬質化させただけの剣じゃねぇ。クロームに付き従う十数条の剣は《旧い剣》――世界の始原、創世より積み重ねられてきた《万物の記録》の譜面に記された“現存していた剣”という史実を具現化したモノ。
人々が言うところの《万物の記録》っていうのは、第五元素に内在するとされている意識《アカシャ》――神と崇められるモノ――の記憶。
――いや、記録というべきか。
クロームだけが使うことを許された魔術《旧い剣》は、エーテル内から《万物の記録》にアクセスし、“現存していた剣”をこの世界に新生させる。
史実に刻まれた過去の名剣を、あいつは今この瞬間、この時代、この次元に全てを蘇らせることができるわけだ。
そうなれば、朽ち果てた神話の時代は再現されることだろう。
切っ先は全てが百足へと突き付けられ、主の命を待っている。
「往けっ!」
風を裂く、クロームの力強き声と共に、彼の手に握られた剣が
創り出された剣の群衆――どんなに遮ろうと払い切ることの叶わぬ、天空からの断罪。
点は線へと移ろう。
静は動へと変わる。
無数の剣は軌跡となり、障壁を割り、砕き、壊し、崩す。
弾ける無形の破片。響く無音の慟哭。
夢幻なる無限の刃は盾の意を無とし、記録の威の儘に生命を蹂躙する。
鋼のような硬度を誇るであろう紅黒い甲殻もまた、神の前には紙に等しく、不快感を煽る緑の血をブチ撒けながら砕け散った。
弾ける破片は無形ではなく、響く慟哭も無音ではない。
即座、横合いから抜けた紅い閃光の腕が撓り、亀裂の入った甲殻へと拳を叩きつける。
再度響く歪な鳴号。声とも呼べぬ壊れた音は耳に突き刺さり、森が揺れるような感覚さえ覚えた。
俺は焦るでもなくのんびりと、まだ弾丸の詰まっている弾倉を引き抜いて別の弾倉を突っ込み、遊底を引く。
さて、行こうか。
バカデケェ百足の背中に飛び乗って甲殻を破壊したセシウは予定を立てていたわけでもないのに、俺の望み通り背中から飛び降りてくれる。
上出来だ。
この手の魔物の外殻は、ハンドガンから放たれる弾丸でどうこうできるレベルのものじゃねぇ。銃器でこれを相手取るなら純粋に火力が桁外れなものか、魔術的な作用を持つものを利用する必要があるだろう。
だが、俺の銃にはそんな大層なモン存在しねぇ。よって――甲殻を破壊することは諦めるべきだ。
火力も魔術もねぇなら技術で倒すしかない。
銃口を百足へと向け、引き金を引き絞る。
狙える場所なんていくらでもあるだろう。甲殻と甲殻の間にある繋ぎ目や口腔もそうだ。そこから内側に直接ダメージを与えればいいだけ。
引き金を引けば、銃弾が放たれるのは当然の帰結。
反動で遊底は後退し、空の薬莢が排出される。バネの力で押し戻された遊底は弾倉からせり上がった弾丸を薬室へと送り込んだ。
その全てを、俺の眼は視認する。
螺旋を描く弾丸は、クロームが障壁を砕いて作った道を渡り、セシウの力によって移動標的から固定標的となった百足の眼孔へと銃弾は突き刺さった。
弾ける複眼――柔らかな肉へと楔のように打ち込まれた弾丸を幻視する。
そして――弾けた。
火薬が内側から膨れ上がり、紅い獣が脳を蹂躙し、喰らう。
甲殻は硬く内側からの力でも砕けることはない。それでも、百足の動きは確かに止まった。
それでも、死んではいない。
魔物の生命力を舐めてはいけない。脳を破壊すれば、確かに動きは止まる。だが、放っておけばあいつらは蘇生し、再び動き始めやがるわけだ。
蘇生が間に合わないほどに殺す必要がある。
ならば、俺やクローム、セシウのような壊す力は意味がない。必要なのは、消す力。
「プラナッ!」
クロームの声に答えるように、俺の背後から燐光が届く。
振り返れば、プラナが細い腕に杖を構え、目を閉じて詠唱に入っていた。小さな唇の詠う言葉に呼応するように、彼女の周囲が輝いている。
それは世界に満ち溢れている元素が反応している証だ。
風もないというのにプラナの白いローブは浮き上がり、ふわふわと穏やかに浮いている。
「Arkhe――Genium Crow.
Ce wann cleivox dhiab famal fi Rizomata.
Lur famal wann Quoder xhan fenikiem ee'l nidege fi aweb atomon.
Genium Crow――telos」
鈴の鳴るような凛とした声が、今の時代では使われない言語を紡ぐ。それは魔術の詠唱の時にのみ使われる特殊言語だ。
魔術式が組み上げられ――動き出す。
プラナがゆっくりと杖を回す。杖の先に飾られた三日月の装飾に嵌め込まれた水晶は光を放ち、軌跡はそのまま真円を成した。
円の中には複雑な魔術式が記号として刻みつけられ、魔術陣が形成される。
――其れは眩い朱の光を放ち、世界に干渉していく
クロームとセシウが魔物から離れるために動き出すのを視界の端に捉え、俺も地を蹴って跳躍。木の梢を掴み、そのまま木々の隙間へと逃げ込んだ。
視界の端が赤に染まる。大自然の緑が赤、紅、朱、緋、赫、橙――様々な火に、炎に、焔に染め尽くされた。
背に叩きつけられる衝撃。熱風が髪に掻き乱され、炎を呑んだように咽喉が焼ける。
――そして焔は世界の一部を消し去った。