1.Monochrome Chapter―白黒軌跡― 1-4
「うひゃー、跡形もねぇや」
魔術の収束し、先程までバカデケェ蟲がいた場所に戻ると、そこにかつての姿はなかった。
鬱蒼と生い茂っていたはずの木々は消え去り、背の低い草花が広がっていた新緑の絨毯もなくなっている。平面な土だけがただ広がっていた。
蟲の亡骸を探すことも難しく、灰さえ残されていない。
清き生命に満たされていたはずの森林の中、この場所だけが死の荒野と化していた。蟲のいた周囲の空間だけが切り取られたような光景は、どこか舞踏会の舞台のようにも見える。
あれだけの火力を誇っていながら、焔が木々に燃え移ることはなく、必要最低限の場所だけが焼き尽くされていた。あんな魔術を正確にコントロールするプラナの技量はさすがだな。
「こりゃ焼畑も無理そうだな」
しゃがみ込み、剥き出しになった土を摘み上げて呟く。
「え? とりあえず木ぃ燃やせばいいんじゃないの? 焼畑って」
後ろにいたセシウがそんなすっ呆けた疑問を零す。小首を傾げるセシウを顧みて、俺は鼻を鳴らした。
「アホか。焼畑農耕は熱帯のための手法だよ。熱帯の方は土壌が痩せてて、酸性のラトソルが主体で作物の栽培が難しいんだ。だから、灰を中和剤にしてんの」
「……へ、へぇ」
曖昧に頷くが、多分意味なんてこれっぽっちも分かってないんだろうな。
「なんだ? お前は老後、農業でもするつもりか?」
円形の焼け野原の端で木々に背を預けていたクロームが、抑揚のない声でそんな嫌味を投げてきやがる。
「んなわけねぇだろ」
「焼畑農耕の知識なんて戦いでは役に立たないぞ?」
「知ってるわっ!」
そんなのは重々承知だとも。このムダ知識が戦いで役立つことは絶対にないと賭けてもいい。
ただ、なんとなくどこかで見たのを覚えていただけのことだ。昔から目に付いたものは片っ端から記憶しちまう癖があるから、そのせいだろう。
眼鏡を押し上げて、俺はゆっくりと立ち上がる。
と、立ち眩み……。
平衡感覚が狂って、一瞬世界が回ったような錯覚がした。倒れそうになる身体を足で何とか支えて、目眩が収まるのを待つ。
「どしたの? ガンマ?」
「なんでもねぇよ」
顔を覗き込んでくるセシウに、突き放すように答えておく。
下手に心配されるのも面倒だ。それに貧弱者扱いされるのも嫌だし。
「ガンマさん大丈夫ですか?」
心配そうに訊ねてくるのはクロームの隣に控えたセシウ。
俺は――満面の笑みを浮かべて、彼女に猪突猛進した。
「大丈夫大丈夫。ちっとばっかし立ち眩みしただけだからさ。何でもねぇよ」
「何かあたしん時と態度違うんですけど!」
「ここまで極端だとむしろ気分がいいな」
うるせぇ外野の二名は放置。
だってお前、プラナだぞ? プラナが心配してくれてんだぞ?
大丈夫言いながらも心配されるようなことを言うのは避けられないことだろ?
もう手厚く看病してほしいわ、本当に。
白衣の天使なんて言葉が似合わねぇセシウに看病されんのはごめんだ。あんなの黒毛の猛獣だってんだよ。
「あまり無理はなさらないでくださいね」
苦笑交じりにもそう言ってくれるプラナ。
……やっぱ、俺の底が割れてるっていうのがハンデだな。クール気取ってるクロームにご執心ってのもあるかもしれねぇけど。
あー、楽しみがねぇ……。
「ねえ、見てよ、クローム。あの緩みきった顔」
「お前の時は明らかに不機嫌だったからな。反抗期の子供が親に見せるような顔だった」
「なんか無性に腹立つんですけど」
「あいつを見ていてイライラするのはいつものことだろう」
二人で人を侮辱する外野は放置、黙殺、意識より排除。
可愛い女の子に愛されたいと思うのはどうしようもないだろうが。それをお前、おんなじ男だっていうのに淡泊ぶりやがって、クロームはよ。
「そもそもだ。プラナは心配する側ではなく、心配される側だ」
「は?」
「へ?」
ぽつりと零したクロームの声に、俺とセシウが間の抜けた声を上げてしまう。反対にプラナは気まずそうに視線を彷徨わせた。
「あれだけの魔術を使ったんだ。その上、周囲への被害が広まらないように、あの炎を制御しきった。はっきり言ってプラナにはオーバーワークだった。何でもないはずがないだろう」
言いながら、クロームはプラナに歩み寄る。
静かに、ゆっくりとした足取り。その足取りに澱みはなく、こいつはいつもそうやって真っ直ぐ目的の場所を目指して歩いて行く。
前だけを見据える切れ長の双眸は今、プラナを見据えていた。
「本当ならここで気を失ってもおかしくないようなものだというのに。そんなプラナに心配されようとするのはおかしいと思わないのか、この貧弱者」
言葉の切っ先が俺へと向けられた。
背後に立つプラナを顧みる。
何でもないように見えるプラナ。か細く小柄な体は子供のようで、色白い肌は病弱そうに見える。もとから虚弱に見えるが、プラナならば普通の様子だ。
何かを耐えているようには見えない。
「プラナは心配をさせまいと耐えているというのに、たかだか立ち眩みぐらいで心配を誘おうというのは間違っているだろう?」
気付けなかった、というのは言い訳でしかない。
まず、最初に気付くべきだった。
どう考えたってあれだけの魔術を扱って平気であるはずがない。だというのに、俺はそれをプラナだから、という理由だけで解決させてしまった。
プラナの力を過信しすぎていた俺の過ちだ。
「あの、クローム……」
プラナが苦しげに何かを言おうとするが、その言葉はすぐに途切れてしまう。
「何も責めているわけではない。ただ、無理はするな、というだけのことだ」
相変わらずの無表情で、言葉にも抑揚がない。それでも、どうしてか言葉は優しく聞こえる。
別にクロームは感情のない戦士じゃない。普通に喜怒哀楽を持っている。それが表面に出ないだけのことだ。
プラナはおずおずと顔を上げ、クロームの射抜くような目を躊躇いがちに見つめた。
「私は、大丈夫ですよ?」
答える声は消え入りそうだ。隠してきた疲労が表に出たのか、それともクロームへの申し訳なさからなのかは、俺には分からない。
そんなプラナに、クロームは困ったように肩を竦めてみせた。
「無理はするな、と言ったはずなんだがな。今無理をされて、戦いの時に倒れられては困る。なら、今のうちに十分に休んで、戦いに備えてほしい」
クロームの言うことは最もだろう。
ここにいる連中は高い戦闘能力を有している。その誰もが欠かすことのできないメンバーではあるが、一人欠如しても敵に対応することは十分に可能だ。
ただ、プラナの力がなければいけない時もある。実際、さっきの戦いはそうだった。そういった場合にプラナが倒れてしまえば、どんなに戦力があろうと俺達は勝利を掴むための手段を見失ってしまう。その事実にプラナも気付いたんだろう。
目を瞠り、俯きがちだった顔を弾かれたように上げたプラナは、やがて申し訳なさそうに視線を落とした。
そろそろ、助け舟出してやんねぇとな。
「で、休むのはいいけど、どこで休むんだ?」
「当初の予定通り、前にいた街まで戻る。あそこがここから一番近いだろう?」
「まー、そうだな」
そもそもこの森に来たのは、キュリーに呼ばれたからだ。あいつが俺達の宿泊する宿に書き置きを残して、この森へと呼び出した。そのために街での用事を一旦投げ出して、ここまで来たんだ。
街へ戻るというのは当然の帰結と言える。
「よーっし、そうと決まればさっさと帰るか。セシウ、プラナ背負ってけ」
「あいあいさー」
びしっと指差して指示すると、セシウは快く返事をしてプラナの方へと向かっていく。
「え、いや、大丈夫ですよ――」
「――いやいや、遠慮せず」
言いながら、セシウは慌てふためくプラナを抱き上げて、ジープのある方向へと向かっていく。おそらく、先程まで歩いていた方向を覚えていたんだろうが、なんていうか野性的なまでに方向感覚がいいよな、あいつ。
遠ざかっていく背中を見つめ、俺もまた二人の後を追って歩き出そうとした時、
「ガンマ」
後ろから呼びとめられた。
「なんだよ」
俺は振り返らず問いかける。
「先程の蟲が向かっていた方角には、何がある?」
「んな俺に聞かれてもよ――」
「お前がこの世界の地図を全て記憶していることは知ってる」
…………。
ですよね。
俺はぼりぼりと頭をかき、渋々クロームへと向き直った。
「あのデカ百足はどっちに向かってた?」
「向こうだ」
クロームが指差した方角と、セシウ達が向かっていった方角を比べる。
幸い、街のある方角を覚えている。北西だ。
だとすっと、クロームが指差した方向は東だな。
その先には確か――
「ちっせぇ村がある。まさにド田舎の」
「ほう」
クロームの目が細められる。白銀の瞳には確かなる闘志。
勇者が何かを感じ取ったようだ。
それは悪意なのか、不幸なのか、憎悪なのか。俺には分からない。
しかし勇者の相手は相場悪人だって決まってるもんだ。
要するに、何か糺さなければ悪が、救わなければならない不幸がある。
「――テットっていう村なんだがな、かなり小さくて地図によっては記載されていないところもある」
「なるほどな」
クロームを顎に手をやり、少しだけ考え込むような仕草を見せた。
「……今の一件が終わり次第、そこに向かおう」
「ハァ? マジでちっせぇ村だぞ? 魔術を知らなくたっておかしくないような」
「だからこそだ」
どういう意味だか、さっぱり分からん……。それでも行くと決めたら行くんだろう。
こいつは変に頑固だ。一度決めたら、譲りやしねぇ。
言い出しちまったからには、俺達も付き合うしかないわけだ。
あー、クッソ。慈善事業じゃねぇんだぞ、勇者の仲間は。