1.Monochrome Chapter―白黒軌跡― 1-1



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     ◇

 正義の味方になりたかった。

 卑賤ひせんなく、全ての命を平等に救えるような英雄になりたかった。

   どんな悪人であろうとも、その心を浄化し、闇から救い出せるだけの想いが欲しかった。

   どんな強大な力にも屈さず、自分の意志を貫き通せるだけの力が欲しかった。

   どんな偉業を成し遂げても、決して誇示せず人々の幸福を純粋に喜べるほどに尊い心が欲しかった。

 そのためだけに生きてきた。

 誰もが悲しまない、平和な世界を築き上げるために。

 きっとできるはずだ。この想いのままに戦い続ければ、世界は変わってくれる。

 無為むいな争いが無辜むこの魂を貪ることもなくなる。

 誰もが幸せに、共存できる。そんな夢でしかないような、優しい世界は実現できるはずだ。

 それが俺にとっての存在価値だ。

     ◇

「腹が減りました」

 木の幹に隠れて、向こうにいる目標を窺っていると、そんな間の抜けたことをセシウは言ってきた。

 標的は俺たちに気付いていない。空から降り注ぐ光がカーテンのように幾重にもかけられた緑の森の奥深くへと、俺たちに気付かず進んで行っている。

 俺はため息を吐き出しながら、銃の遊底を引いた。弾倉から薬室へと弾丸が装填される。

「砂か石食ってろ」

「……ガンマ、私を何だと思ってんの?」

「珍獣」

 適当に答えて、木の幹に背を預けたまま向こう側を窺う。流れるような後ろ髪――揺れるその向こうには一糸報わぬ、柔らかな痩躯そうくが垣間見えた。

 間違いなく標的だ。それにしてもいいケツして ―

「ガンマ?」

 気付くよりも早く胸倉を掴まれ、今まで視界の外に置いていたセシウの顔が間近になる。

 つぶらな紅い瞳が、怒りに据わっていた。低い鼻をひくひくとさせながら、じっと俺を睨んでいて、半端なく怖い。

「どういう意味? それ」

「お、お前、気付かれるだろう。つ、つぅかセーフティ外してっから……」

 両手を上にあげて、降参のポーズのままに言うが、それで許してくれる気配はない。

 ポニーテールにしてなお、膝に届くまでの長さを持つ紅髪を揺らしながら、セシウは革のグローブを嵌めた手で俺の胸倉を締め上げる。

「私のどこが珍獣だって言うの?」

「12時間、懸垂しても汗かかないとことか」

淑女しゅくじょの嗜みよ、あれは」

 半眼で俺を睨みながら、そんなこと言うけど、絶対間違ってる。ていうか、お前の淑女のイメージはボディビルダーなのか。

 セシウの身体は鍛え上げられ引き締まっているが、筋肉の屈強さというものがあまり見えない。むしろ細くしなやかな体は、豹によく似ている。

 どっちにせよ、こいつが怪力であることに変わりはないが。

「じゃあ、あれだ。ゴリラのボスを倒して、ひとつのグループを完全に下僕にしたこと。あれはすごいだろ。一時期獣の花嫁の二つ名で呼ばれたし」

「私の黒歴史に触れるなぁ!」

 顔を赤らめたセシウに激しく揺さぶられ、頭の後ろが木の幹にぶつけられる。

「ごふっ!」

 衝撃に、目から何か飛び出た気がする。何が飛び出た。ああ、眼球だよ。それ以外ねぇわな。

 いや、飛び出してない。何も飛び出してないけど、鼻水くらいぶしゅってなった気もしなくはない。そもそもこんなこと考えるのは脳がおかしくなったからか。

 あ、飛び出したもんが一個あった。

   銃弾だ。

 万歳の姿勢から放たれた弾丸は空へと放たれ、渇いた銃声を聴いた鳥達がざわめく。

 そしてもう一つ ―

「しゃがめっ!」

「うわっ、ちょ……!」

 言いながら俺はセシウの首に手をまわし、抱き寄せながら前方へと倒れ込む。

 同時に頭上を駆け抜ける風の音。

 頭上で森がざわめく。ふと視線を上げると、今まで背を預けていた木が、俺たちへと傾斜してきていた。

「なっ、やべっ!」

 血の気が引き、必死に逃げ出そうとした刹那せつな、目の前の木が弾け飛ぶ。瞬き一つにも満たぬ時間で木は木端微塵に吹き飛び、木片だけが小雨のように落ちてきた。

 風によって綺麗に切り裂かれた木の幹の向こうで、あの女は笑っていた。純白の裸身を惜しげもなく晒し、妖艶に肉感的な笑みを湛えている。

「まだ死ぬのは早かろうに。まだ狩りを楽しませておくれよ」

 言って、女はしなやかな腕の先、一本の指を軽く振った。同時に駆け抜ける悪寒。

 立ち上がった俺とセシウは右の方向に飛んで避ける。背後で、木の幹が一つ砕け散った。

 止まれば死ぬ。少しでも狙いを定められたら簡単に獲り殺される。今はとりあえず動きべきだと走り出す。

「て、同じ方向にくんな! 別れろ!」

 隣を歩くセシウに怒鳴ると、そいつはポニーテールを揺らしながら顔をしかめて来やがった。

「うっさいなぁ! 細かいことぐだぐだと……! そんなことどうでもいいから、ちゃんと戦いなさいよ!」

「だからお前が一緒にいたら  !」

 気配を感じてお互い一緒に立ち止まってしゃがみ込む。頭上を再び風が通り過ぎ、流れ弾で木が一本吹き飛ぶ。

 森林伐採のレベルではない。というか、やる気になれば森一つくらい消してしまいそうな勢いだ。

「ほら、見ろ。お前が囮になってる間に、俺が後ろに回り込むから、お前行け! 逝け!」

「やだよ! そんなこと言って、この前ガンマは私を置いて逃げてたじゃん!」

「いいんだよ! お前はやればできる子だろ! 俺はお前を信じてる!」

「それっぽいこと言って、誤魔化せたと思うなよなぁ! この茶髪メガネ!」

「うっさい! これは伊達メガネって言ってだなぁ、お前みたいなゴリラに育てられたターザン的野生人に説明するならば、オシャレメガネっていう奴なんだよ! 分かる! オッシャレーィ、なの!」

「それくらい分かってるっつぅの! ていうか私は正真正銘ヒト科の哺乳類! 両親もそうだから! てか、メガネ似合わないから! あんたがメガネかけたって秀才に見えないから!」

「余計なお世話だっつぅの! 関係ねぇから! つぅか、これかけてから女にモテてるから! 隠された俺の魅力に、世の女が気付き始めたから! それに気付けないお前はきっと、ヒト科の哺乳類でもオスなんだよ、オス! きっとそのBカップしかねぇ胸も鳩胸なんだよ!」

「こんのチキンザルは人の気にしてることをずけずけと! 大体ね、男はみんな大きけりゃいいとか言うけど、でっかい方も大変なんだぞ! 肩凝るらしいぞ!」

「そのらしいってとこが悲しいよな。お前は経験できない苦し  いてて、耳引っ張んなって!」

 何やってんだ、俺達……。こんなことしてる場合じゃねぇよ。

 まあ、ぶっちゃけ俺は大きいのがそんなに好きなわけではない。どっちかっていうと小さいくらいの方が好みだ。

 いや、でもそれをこいつの前で言うと何か負けた気がするから、絶対に言わない。

晴天ソラを制し、柳を揺らす。セイを言代にセイセイを付与、リュウにはリュウリュウを付加」

 ふと聞こえた声に木々の隙間から女を窺うと、奴は両手を広げ謳うように空を仰いでいた。

「やべっ、詠唱入りやがった!」

 立ち止まって、銃を撃つ。が、放たれた弾丸は女に届く前に不可視の壁に破られ阻まれた。

 ああ、そこまで入念ですか。

「ほら、見ろ! お前に付き合ってるせいで、こんなことになっちまったじゃねぇか!」

「人にせいにしないでよ!」

「流転のわだち刻みし風をセイとリュウで染色  言葉を複合、言霊を融合、四象を重ね神獣の真理を解す」

 女の目が俺達へと向けられる。まずいぞ、まずいぞ。

 この詠唱の中身はなんか嫌な予感がする。

 風は凪ぎ、それでも森はざわめく。何かに引き寄せられ、森自体が共鳴しているんだろう。

 儀式級の術を、あいつは言霊の力だけでやらかすつもりだ。概念的な儀式道具である杯や短剣、また魔法陣や式典も使わず、自分だけの力でそれに匹敵する行為を行い為し、成す。

 これが  魔族アクチノイドの絶対的な力か。

「セイとリュウの風を依り代に言海ゲンカイより現界せよ」

 弾ける閃光。逆巻く旋風。

 全てを呑み込み、全てを拒む、二つの力の奔流。

 隣でセシウが引き攣った悲鳴を上げる。俺だってこんなのたまったもんじゃねぇ。

 こんなことやらかして、生温いもののはずがない。厄介な、それもとんでもなく凶悪な、何かだ。

 そして  咆哮。

 血を沸騰させ、地を轟かし、クウを引き裂き喰らう、その激昂を俺は知っている。

   龍!

「おいで、私の式神」

「セシウ!」

 声を呼びきるよりも早く、セシウの獣のような獅子吼ししくが耳をつんざく。それはどこまでも雄々しく、等しく雄叫び。

 閃光が消え失せ、風によって舞い上がった塵埃じんあいだけが視界を阻む中、奴はその紗幕カーテンを振り払い現れた。最初に捉えたのは巨大な口腔こうこう  龍が俺達を喰らおうとした刹那、セシウは剣のような龍の牙を掴み受け止める。

 俺も素早く銃を構え、セシウの横合いから龍の口腔へと銃弾を五発お見舞いする。反動リコイルを考慮しての銃口補正なんて関係ねぇ。ただ、ただ撃てる限りの速度で撃ち込む。

 鮮血が噴き上がり、龍の咽喉の奥から衝撃のような大音声の叫びが響き、耳へと突き刺さった。

「くっ……!」

 それだけでも気が狂うほどの苦しみ。何もかもが、龍は規格が違いすぎる。

 セシウが手を離すと、龍は即座に体をうねらせ、後ろへと下がった。その瞬間見えた表皮の色は蒼。

 セイとリュウ  セイリュウ、青龍。

 くっそ、こんな厄介なもの呼びやがって……!

 晴天は太陽、つまりは陽を示し、柳は木。陽の木神である青龍にはちょうどいい言代ことしろだ。

 さらに晴から派生させた凄は凄絶、聖は神聖に重ねたもの。柳から派生させた流は奴の動きそのものであり、隆だって高く盛り上がることだ。どれも青龍召喚の起因にはちょうどいい。

 しかも派生させて付加、付与させる言葉の数も四つ。四体いる神獣、さらには易学的な四象にまで重ねている。

 今は太陽が天にある上に、ここには青龍の召喚の媒体にちょうどいい木が有り余ってやがる。本当にムダのない召喚じゃねぇか。

 ここまで来ると、あいつが向いていた方角も北東だったかもしれないな。

 引き下がった龍は鎌首をもたげ俺達を睥睨へいげいしている。その長大であるはずの体躯は途中で途切れており、空間に刻まれた複雑な八角形の魔法陣に繋がっていた。

 魔法陣からは幾条もの鎖が伸び、龍の体へと巻き付いている。魔法陣の外側の円には乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤の八つの文字がそれぞれ刻まれ、その内側には八爻まである。

 八卦  さらには六十四卦の魔法陣だろうな。

 四象より生じた八卦で囲むことによって、四象である青龍を八卦、六十四卦の陰陽に分かち、巧妙に捕らえている。循環を意味する円形の魔法陣で青龍を捕らえることは難しい。円形の魔法陣の外側は確かに循環となるが、内側には太極が存在してしまう。それでは捕らえきることが困難だ。太極を理解できれていない状態ではまず不可能だろう。

「全く、厄介な奴だな、オメェはよ」

 俺の悪態に、青龍に寄り添うように立ち、腰に手を当てていた女は艶然と俺達を見下す。その顔はどこまでも勝ち誇っている。

「易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦、八卦定吉凶、吉凶生大業  よく出来たものだろう? 陰陽というものは」

 易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず  その言葉を聞くのはかれこれ五度目か。

 それはこの女と戦った数を意味している。今まで何度も俺達はこいつに挑み、そして敗れてきた。

「お前達との戯れ、遡ればなんとも奇妙なものよ。この私が、まさかたかだか人間二人と、こうして何度も戯れるとは。私と戯れ生きているのはお前達だけだ。さて、此度は生き抜けるかえ? それとも逝き抜くのかえ?」

「あったりめぇだ  死ぬのはお前だよ、キュリー!」

 俺が駆け出すのと同時に、隣のセシウも地を蹴り俺の前に立つ。

 女も楽しげに笑い、長い髪を掻き揚げた。それが合図だったかのように龍は猛り、俺達へと真っ向から向かってくる。

「いいぞ、人よ! お前達との戯れは快感だ! お前ら小童どもの愚かに抗う姿は、私の全身を快感となって突き抜ける! もっと私に感じさせてくれ! そしてカタルシスへ導け!」

 高らかな哄笑を聞きながら、俺は龍の右眼へと発砲するが、瞬き一つで防がれる。瞼で銃弾を防げるって言うのはえげつないね。

「どう思う?」

 前方で龍に回し蹴りを叩き込んだセシウに訊くと、見事に顔をしかめた。

「変態じゃないの? ていうか、すごく足痛いんだけど!」

「鍛えすぎなんじゃねぇの?」

「は?」

 だって、そこまで鍛えなきゃ、龍相手に素手で挑むような気にはなれないだろう。

 まあ、ぶっちゃけ斬鉄剣ならぬ斬鉄拳なセシウの拳が通らないとなると、俺の銃も無理だな。脚力は確か腕力の三倍だっけ? あれは、パンチ力とキック力の話だったかな?

 どっちにしても俺の銃じゃ無理だな。あ、ちょうどいいとこに、いい感じの助けがある。

 セシウは再び龍のアギトを裏拳一発で迎撃し、俺を顧みた。

「どうすんの! これ、私一人じゃ無理!」

「じゃあ、俺も無理ーぃ」

「お前なぁ、自立しろよ!」

 脱力気味に言うと、そんな最もなこと言われてしまった。嫌になるね。

「まあ、安心しろ。助けが来た」

「は!? 頭狂ったか!?」

 見事なまでに龍を拳と脚で迎え撃っていたセシウが俺の言葉に、マジでキレる。そりゃ、俺何もしてないからな。キレたくなる気持ちも分かる。

 俺もなんか、脇役に降格されてる気分だもん。いや、主役には遠いキャラですが。

 ていうか、主人公はあいつだな。この登場パターンだと。

 龍がセシウへと食らいかかる瞬間、セシウは即座に迎え撃とうと腰を落とし拳を握りしめるが、それよりも早く飛来ものがあった。

 上空より降り注いだ銀の一条。うねり舞う紅い飛沫と飛沫。

 死色の銀、血色の生命。

 龍の絶叫はくぐもり響かず、龍の額に突き立てられた細見の剣だけが清澄に煌めいている。その剣はまるで芸術品のような装飾の美しさ。

「そこまでだ」

 楔を打ち込んだ者の声は、頭上より聞こえた。

 木の梢に立つは、腕を組んだ銀髪の剣士。長い髪を後ろで束ね、軽鎧に身を包んだ精悍な顔立ちの男だった。傍らには薄手の白いローブを纏った白髪の少女がしゃがみ込んでいる。片手には先端に月の模した飾りが成された杖を握り、紅い目は俺達へと笑いかけていた。

 とりあえずそっちの方に手を振っておく。フェミニストですよ、ええ。

「クローム! プラナも!」

 セシウが嬉々とした顔で二人の名を呼ぶ。

 ようやく全員集結ってわけだ。

 剣士クロームに、魔術師プラナ。やっぱり、この手のものにこういう役柄は欠かせないだろ。

 龍の向こうに立つキュリーは、どういうわけかこれまた楽しそうに俺を見ていた。何、その「私達は二人で楽しみましょう」的な笑顔。いや、曲解だと思うけど。

 とりあえずあいつには服着てほしい。いや、着てほしくないかも。でも、そうするとフェミニストの名が泣く。自称だからいいんだけど。

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